「今を生きる」第80回   大分合同新聞 平成19年10月15日(月)朝刊 文化欄掲載

存在の満足(9)
 宇宙飛行士が地球に帰って来てビックリすることは「地球に重力(引力)のあることだった」と聞いたことがありました。我々は普段生活をしていて、地球の重力をビックリする程意識することはありません。それがあることを当たり前にして生活しているからです。
 我々の生活の場には磁力もはたらいているが普段は全く意識に上がりません。ビルディングの中で生活しているとビルの外に強い風が吹いていても,風の音が聞こえなければ空気は見えませんから、風は吹いているが気づかないことがあります。まして,私に空気圧がかかっていると普通は思いもしません。見えなかったり、その事情が当たり前と思える状態では、私に対する種々の働きの力・作用を感得することは難しいことです。
 人間関係でも、私に対して心配りをしてくれる親しい身近な人の存在は、空気みたいな存在で、つい“当たり前”と存在することを当然の如く思ってしまいがちですが、その人の不在の状況が出て来ると、本当に大きな働きがなされていたことに気づかされます。
 「私」は感受性が鈍く、存在することの不思議さ、そして「私」に対してなされているほかの人々の種々のご配慮、ご苦労を感じることに鈍感です。
 おなかの調子をこわしてみて初めておなかの調子のよいことのお陰を感じ、腰を痛めて初めて腰の痛くないのが当たり前と思っていた私の感性の鈍さ、傲慢さに恥じ入ります。
 仏の智慧(ちえ)の世界に気づいた人のお話を聞かせていただく歩みの中で、次第に、あるがままの全体の姿が見える智慧の目をいただいていくのです(悟り、信心、目覚め)。
 実際に仏道を歩んでいる人格に触れることがあれば、さらにしっかりと智慧の働きの世界を感得して、存在することの満足の世界に導かれるでしょう。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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