「今を生きる」第81回   大分合同新聞 平成19年10月29日(月)朝刊 文化欄掲載

存在の満足(10)
  あなたにとって「生きること」と「死ぬこと」のどちらが大切な課題ですか、と問うとほとんどの人は「生きること」ですと答えます。それでは毎日、朝、目が覚めた時「生きている。今日の命が与えられた」と感動をもって受け取れていますか、と聞くと多くの人は否定的です。
 今、ここに生きている、存在していることのまれなことに気づかないと、生きることの有ること難しにならないし、存在していることが輝かないのではないでしょうか。
 毎日同じことの繰り返し、マンネリ化、いつもと同じ、存在することが当たり前というように受け取ると、日常生活は予定されたものをこなすという生き方になり、だらだらと続く日常性に飽きがくることになります。この時、大事なことは区切りをつけることだと教えていただいています。
 仏教の智慧(ちえ)をいただき、人間としての成熟の道を歩く者は、多くの因や縁が仮に和合して一瞬一瞬生滅を繰り返しているという、あるがままの姿に目覚め、存在することの有ること難し、そして、一つでも因や縁が欠ければ、次の瞬間には“空”、ゼロになるという無常の事実に目が開かれるのです。
 養老孟司先生は対談の中で、昨日の私は昨夜死んでいる。今日の朝、今日の私が誕生したということ。その私は今日の夜、休むときに死んでいくということですと語り、今、今日を輝かせる区切りについて示唆を与えてくれています。
 区切りをどうつけるか? それは私にとって、観無量寿経の中の言葉、「汝(なんじ)もし仏を念ずること能(あた)わずばまさに無量寿仏と称すべし」との仏言に従って南無阿弥陀仏と念仏することです。そこに自然と区切りのついた生活が不思議にも展開していきます。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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