「今を生きる」第83回   大分合同新聞 平成19年11月26日(月)朝刊 文化欄掲載

存在の満足(12)修正版
  人間は意識存在であるということができます。人間にとって一番困る問題は、自分の意識を越えたものがあるということです。意の通りになるとき、意識は満足して安心します。しかし、身の周りをよく見てみると、意のままにならないこと、通じないものがいっぱいあることに気づくでしょう。
 科学が発達する前は自然現象も意識を越えたものであり、地震や雷、台風などは自然の驚異として恐怖の対象でした。科学の発展によって自然現象の多くのからくりは説明できるようになってきましたが、私の周りに通じないものが存在するということは、私に不安を引き起こします。外の現象だけではなく、思い通りにならない私の内なる問題もあるということに気づくでしょう。
 その一つに「病」・「死」があります。特に「死」は意識を越えた世界です。死んだ人に「おーい」と呼びかけても、何の返事もなく、通じなくなる世界です。
 私は意識を中心に生きていますから、外側にも内側にも意識を超えるものがあり、いや、意識を超えたものの中に私は包まれて生活していることになります。
 意識を超えたものは人間にとって不気味なものなのです。人間は意識の発達とともに意の通じない暗い、恐れの中に自分が居るという事実に気づいたのでしょう。人類は明るさを求め、火を利用するようになり、都会では24時間明るさの中で活動を続けています。
 そこに暗さはないのか? 外は明るくしても、意の通じない意識を超えた世界、闇にまでは太陽の光や世俗の灯火は届かないようです。闇の方が遙かに深いということです。そういう人間の存在の在り方に気づくことは不満であり、不安です。これらの現実をどうするか?

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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