「今を生きる」第84回   大分合同新聞 平成19年12月17日(月)朝刊 文化欄掲載

存在の満足(13)
 自我意識は自分の周囲の事柄、すなわち外側、内側(身体や心など)に自分で思うようにならない現実(それは意識を超えたものをも含んで)があることに気付いていきます。自分の思い、欲を満たすことを満足と考えて、小ざかしく思い通りに目的を達成しようと策を練ります。
 人知を超えたものの要素を感じたら、神という名前を付けて祭り事をして自分の味方にしようとしてきたことは歴史が示しています。人間の欲、煩悩の数だけの神々(八百万(やおよろず)の神)というモノを人間は作ってきたのでした。
 外側の事象を私から切り離して向こう側に見て、対象化して、客観的な思考パターンの延長線上、外の種々の条件が私の幸・不幸を決めると考えて、利用できるものは総動員して自我意識の満足を目指して努力し、行動します。
 しかし、実行していくとなかなか十分にできたということにならないのです。完全を目指せば目指すほど、完全でないところ、足りないところを探す努力をしますので、不完全性に次から次へと気付くようになります。
 本紙連載「おじさん図鑑」の筆者が、記事の中で「病気の予防とか国の防衛というものは、備えれば備えるほど不安が高じて、憂いや心配は増大するばかりである」と書いていました。まさにそうなのです。
 われわれは苦しんだり悩んだりする原因を、もっぱら外にあると考えます。しかし、苦悩の本当の因は私の自我の煩悩にあると仏教は教えます。われわれは外の事象に問題があるとしか考えないのですが、外の事柄は縁です。外に原因があると考えるのは、物事の全体像が見えてない、智慧(ちえ)(仏から頂く智慧)がないからであるというのです。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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