「今を生きる」第91回   大分合同新聞 平成20年3月24日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(7)
 「我愛」というのも心の汚れです。いわゆるエゴイズム、利己心、自分の利益しか考えない心です。ある人が奥さんから、「今度の出張は車で行くと数時間かかるので、車で行かずに電車で行ってよ。事故にあうと困るから」と言われ、自分の事を考えて愛してくれているのだ、と思っていたら「あなたが死んだら、私が困るわ」と言われたといいます。相手のことを思ってはいるが、回り回って私のことが一番大事なのです。
 医療の現場で親の延命治療を希望している人の話をよく聞いてみると、親が生きていることが子どもの私には嬉しいことです、と言われるものの、親がどういう状態で延命しているか、見方を変えると、親が苦しい、意識がない、治療のために拘束されている等々お構いなしに、子どもの私のために親を延命させてくださいと希望されているようで、それは親を思ってことですか、子どものあなたの気持ちを尊重するためですか、と聞きたいくらいのことがあります。
 自分たちの生活がありますから、介護の必要な親はみることはできません。病気(老化現象と病気の区別は難しい)だから、病院がみてくれるのが当然でしょうと、自分たちがお世話しない、その後ろめたさを補うように、病院には、当然してくれるべきだと、自分たちが理想とする独り善がりの対応を強く求めてくることがあります。これらはまさしく我愛と我見が結びついた結果なのです。
 種々の理想主義を主張する人が、皆に平等に、公正にと強く主張しながら、自分に対しては甘く、他に対しては厳しい姿勢を取ることをみることがあります。我愛というものは、心の強い汚れというよりは、人間の本質であるということでしょう。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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