「今を生きる」第94回   大分合同新聞 平成20年5月5日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(10)
 かなり前のことだと思われますが、ある貧しい僧侶が小豆島から京都に出かけて行くとき、奥さんが何食かの弁当を作ってくれて、それを担って出発したといいます。交通機関のまだ不自由な時代で、いろいろ乗り継いで行く途中で弁当を何回も食べながら、食べ尽くして目的地に着いたそうです。担いでいるときは重かったが、食べてしまうと軽くなったと書かれていました。担っても、食べても、足にかかる重さは変わらないはずなのに、食べてしまうと軽くなるということは教えられることがあります。
 課題に取り組むときに、課題を向こう側に置いて眺めるように考えると、重たい。しかし、この課題は私に与えられた仕事と担うと、思った以上に軽く担える。さらに、これは私を鍛え、成長させ、成熟させるために、いただいた仕事と食べるがごとく受け取ると、重さはさらに軽くなると教えていただいたことがあります。
 週末に、職場の悩ましい課題を家に持ち帰って、ああしたら、こうしたらと頭で考えていると心は沈みがちです。月曜日に出勤し、意を決して私の現実と受け取って取り組むしかないと担うと、心のおり所が決まります。課題に取り組みながらいつのまにか昨日悩んだことが少し軽くなっていた、振り返ってみると取り越し苦労していたなと気づかされることは時々経験します。
 ある公立病院の院長をしている知人が、「管理者から病院運営、管理のいろいろな注文があり、議員や市民からも種々の苦情が寄せられる。一方では職員からの有形、無形の声が聞こえて来て、板挟みのような状況で対応に苦慮するが、これは私にしか経験できないことだと心を決め、楽しもうとして取り組むと荷が軽くなる」と言うのを聞いて、「先生も悟りに近づいて来ましたね」と話をしたことがありました。

田畑正久(たばた まさひさ)
1949年、大分県宇佐市の生まれ。九大病院、国立中津病院を経て東国東広域病院へ、同院長を10年間勤め2004年の3月勇退。現在宇佐市の佐藤第二病院に医師として勤務、飯田女子短大客員教授として医療と仏教の協力関係構築に取り組んでいる。

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