「今を生きる」第97回   大分合同新聞 平成20年6月23日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(13)
 自分の心に汚れがあるとは気づかないものです。人間の心の汚れに気づいたのが釈尊の悟り、目覚めの内容ということでしょう。それは人間の分別を超えた視点としか表現のしようのない智慧(ちえ)の世界です。われわれは目覚めの世界(仏の智慧・無量光)から照らし出されて初めて気付かされるのです
 作家の司馬遼太郎が某新聞の記者を京都でしていたとき、本願寺で「浄土はあるのか」と質問したら、僧侶が「浄土はあるとか、ないとかの上にある」と答えたといいます。仏の世界、浄土は人間の理知分別を超えた世界ということでしょう。
 次元を超えた悟りの世界をどう考えるか。
 数学で、ゼロ次元を表現したものが点である。位置はあるが大きさがない世界。一次元の世界は線である、線は長さはあるが幅がない。二次元の世界は面である、面は広さはあるが厚さがない。三次元は立体である。
 そこで点という概念を分かりやすく言うと、線と線の交差した所といえる。線というものを理解するためには面と面の接した所というと分かりやすい。面は立体の接した所と考えるとうなずけます。
 自分の姿、実態が分かるためには人間の思考の次元を超えた目覚め、悟りの次元が必要ということです。仏の智慧やお経を学んでいくと、われわれ人間のことをよく分かっている。カゲなく照らし出す無量光というがごとく人間の心理や深層心理を見抜いている、と思わせられる内容に感動します。仏の智慧を真(まこと)といい、人間の為(な)したことを「偽り」、「不実」ということがうなずけます。仏教の学びは人間の愚かさを知らされる道なのです。人間の現実を知るには分別を超えた悟り、目覚めの内容を知ることで気付かされていくのでしょう。

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