「今を生きる」第99回   大分合同新聞 平成20年7月28日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(15)
 眠りそうになっている人が自分を目覚めさせることが出来るでしょうか。
 車を自動車道で運転していて眠気に襲われ、止めるに止められず、次のパーキングまで何と工夫してたどり着くということがあります。時には、意識が途絶えたのではと思う一瞬にビックリすることがあります。
 講演会で一番前で聞いていたご婦人が眠気に襲われ、しきりと指で膝をつねって眠気を覚まそうとしていたが、つねる指も眠気でコックリとして効果が出てなかった、という話を聞いたことがあります。
 自分で自分を目覚めさせるとか、自分の心の汚染をきれいにするということは至難のことです。「お釈迦(しゃか)さんができたから私にも出来るだろう」というのは非常に楽天的な自信のある人でしょう。
 世間での発想は「やればできる」「努力することが大切だ」という雰囲気が満ち満ちていますから、理性・知性は自分の限界に限りなく挑戦していくことを尊いとしています。限界を認めるということは自己否定につながるような感じを持つことになるのです。
 世間での仕事や目標は限りなく英智を総動員して、検討し、見通しを立て、方法を考え、計画し、取り組むことは必要です。一方、自分の目覚めや悟りへの道はこれまで人間の歴史で多くの先輩方が取り組み、思索された記録が残されています。
 過去のことは古いから価値が落ちるかというと、決してそういうことはないのです。先人の思索・学びの積み重ねの中に学ぶべきものがたくさんあると思われます。そういう文化の蓄積を大切にしたいものです。人間の精神性というものは、今も過去も大きな違いはないようです。

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