「今を生きる」第104回   大分合同新聞 平成20年10月6日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(20)
 目標・目的に到達するための方法・手段を考えるとき、目的がすでに知られているものであれば、先人の経験談が非常に参考になります。未知のものや未経験な領域の課題のとき、また抽象的な理念のようなものに取り組むとき、人々は戸惑い、頭を悩ますのです。
 種々の分野の最先端を進むということは、大変な苦労を伴います。その努力も報われるかどうかも分からないのです。以前、大学の研究室で研究のまね事みたいなことをした経験がありましたが、方向性の定まらない歩みは非常なるストレスでした。
 数学で5次方程式というのがあります、われわれは中学、高校で1次、2次、3次方程式の問題を解く方法を習いました。その延長線上で4次方程式も解くことができるそうです。そこで5次方程式を解く方法を求めて、多くの数学者が取り組みました。ある学者は人生を賭けて取り組みましたが、最終的に目的は達成されなかったといいます。
 アーベルという学者は5次方程式は代数的に解けないのではないかと考えて、ついに5次方程式は解けないということを証明したそうです。解けないということをはっきりさせることは、むちゃくちゃ大変なことだそうです。
 われわれのしあわせを求めての人生は、自分の考えや経験をよりどころに進めています。自分の考えは間違いないと自信に近いものをもって歩んでいますが、先ほどの5次方程式の解を求めての歩みに似ているという懸念はないでしょうか。目的はよいとして、その内容は十分に吟味しているか。そのための方法・手段は十分に信頼するに足る方向性を持っているものだろうか。仏教はわれわれの思考を無明と言い当てています。

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