「今を生きる」第107回   大分合同新聞 平成20年11月17日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(23)
 科学技術の進歩の中で医学も展開されて、病気をより細やかに正確に把握できるよう、専門化、細分化していろいろな診療科目がでてきました。細分化した診療科目の再統合をすることで人間全体を把握できるはずだと考えて発展してきたのですが、現実は思い通りに再統合することの困難さに多くの医療関係者は気づきはじめているようです。
 客観的な事実に基づいた医療をしようとする流れで、専門化した医師が診察した結果を集めて人間全体を正確に把握しようとしても難しいということが明らかになってきたのです。患者さんの気持ちや病気観、人生観、そして生活の全体を見ることがおろそかになっていたのでした。
 数年前に始まった日本の医師の卒後教育の改革は人間全体を幅広く診察できる医師を養成しようと始まったばかりですが、現在、生みの苦しみを経験しているところです。制度変更のためのひずみの現象が医療崩壊などの引き金になったと批判する人は多いが、傍観者的な発言が多く、批判の域にとどまっていて、どうすれば良いという意見を言う人は少ないのです。
 批判する人も自分が言ったくらいで変わるものでない、まして自分は医学教育、制度変更する当事者でないからと、あきらめに近い「百家争鳴」「…の遠吠(ぼ)え」になっています。
 結果を見て、あれが、これが悪るかった、と勝手なことをいう傍観者は自分が問われない、責められないから楽なのです。批判精神は非常に大事ですが、「自分が透明人間のような立場で批判ばかりしている」ことになっているのです。全体を見ているようだけど、自分が除かれているがために、全体になっていない、という過ちを犯しているのです。そこを仏教は全体が見えてないから無明だと指摘するのです。

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