「今を生きる」第110回   大分合同新聞 平成21年1月12日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(26)
 人間の自然な感情の喜怒哀楽を公の場で不必要に出すことは、はばかれる雰囲気があります。感情を制御してつつましく表出することが理知的であると評価されています。我われの感情は、心のありようの影響を受けます。心のとらわれ(汚れ)があると、感情もとらわれに引きずられます。心の汚れをきれいにしようとする人間の努力は、時に個人にひずみを生ずることがあります。医療関係者などの対人援助の仕事では、自分の感情(相手を不愉快な気持ちにさせるもの)を押し殺したり、自分の感情をコントロールして、その場にふさわしい望ましい感情を表出することが求められる職種です。
 長時間にわたって人を援助する過程で、感情を制御するという心的エネルギーが絶えず過度に要求され続け、その結果、極度の心身の疲労と感情の枯渇をきたし、いわゆるバーンアウト(燃え尽き)を引き起こす危険があるといわれています。
 人を相手にした看護の現場では人間の笑顔、優しい眼差しなどを感情労働として扱う流れがあると聞いていますが、管理された笑顔、優しいまなざしは、一時的にはその場をつくろうことができるでしょう。しかし、長期間そういう人為的に作られた場面に接する者は、かえって人間性を疎外されたむなしさを感得するようになるのではないでしょうか。心が癒されるということが、かえってなくなる危険を秘めています。
 ある病院では、職員の対応、対話を大事にする一方、「“どれだけ心込めたか”を大切にしようとしている」とお聞きしました。その病院で、がんの末期の患者さんが「死をまつだけですか?」という趣旨の訴えをされたとき、看護師がじっくりとお話を聞いたあと、「必ずそばにいますから」「一緒に歩んでいきましょう」と声をかけられたという。
 表面的な笑顔以上に、そういう心のこもった言葉に患者さんは救われたといいます。深い心、根源的いのちに触れる、心の通じ合いによって看護師も癒されるとお聞きしています。

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