「今を生きる」第117回   大分合同新聞 平成21年4月27日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(33)
 宗教学者のひろさちや氏の「堪忍(かんにん)」についての文章に、「インド人と話をしていた時に、日本人は『他人に迷惑をかけてはいけません』と教えているのだと言ったら、そんな教育があるかと怒っていました。インドでは親は子に、『あなたは他人に迷惑をかけて生きているんですよ。それを許していただいているんです。だから、自分が人さまから迷惑を受けることがあっても、それをしっかりと堪え忍びなさい』と教えているんだと。それが本当の宗教心だろう、と言われた」がありました。
 人間には周りの人から「善い人間」と思われたい、「悪い人間」と思われたくないという根深い思いがあります。そして他人の非には厳しく、自分の非には甘いという傾向がありますから、「悪いことはやめましょう、迷惑をかけることはしないように」と教えられてくると、いつの間にか善人意識の人はどんどん増えて、自分は悪いという意識の人は少なくなります。
 善人が増えた社会は、きっと善い社会が実現できると思われます。しかし、善人意識の人が増えた社会はどうなるでしょうか。現代社会は、私を代表として善人意識の人が増えて、多くの人が迷惑を被っている状況であると言えるかも知れません。
 自分の常識が社会の常識だ、自分の考えは間違いない、自分は悪いことはしてない、他人に迷惑をかけてない……、そういう自分の心、意識の汚れに自分で気付いていくということは、なかなか難しいことです。
 仏教の智慧(ちえ)の光に照らされることの大事さをいうのは、消極的であるように見えますが、結果的にみると、堅実で、心を洗う智慧への道が一歩一歩実現する道なのです。

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