「今を生きる」第118回   大分合同新聞 平成21年5月11日(月)朝刊 文化欄掲載

心を洗う(34)
 仏道とは仏への道、仏になる道ということができます。多くの現代人の発想は自分の身体や心の汚れをきれいにして清浄な状態になる、立派な身体や心にして、仏さんに近づいて行く方向性を考えます。仏教ではそれを聖道(しょうどう)門と言います。その背後にあるのは人間の可能性を信頼した、“やれば、できる”精神であります。その方向での思考は自分は条件が整って、本気になって頑張ればできる可能性がある、いや自分にできなくても優秀な人がやればきっとできるはずだ、と考える考え方です。その場合は自分および人間を見つめる見方も甘くなりがちです。
 若いころはすべての分野で自分の可能性を追求する時代ですから、やればできる方向性で模索し、努力することに価値を感じます。まして学生時代は心身ともに頑張ることに若さの矜持(きょうじ)を感じていますから、努力することは前向きで魅力的な方向性で、それをやらないのは若者でない、人間でないと思ってしまうのです。
 「他人に迷惑をかけない人になれ」という言葉を聞くと、まさにその通り、自分のことは自分でして、他人に迷惑をかけないように努力することが大事だ、となります。その言葉は非の打ちどころのない内容です、世間の道徳倫理もそのことを励まし、勧めています。確かに、その理想に向かって努力することが大事であります。
 日常生活でそのように心がけて、そこそこ実現できると私の努力の方向性で良い、「さらに努力しよう」となります。時々迷惑をかけることに気づくと、私の努力が足りない、「さらに努力しなければ」と考えるのです。自分で頑張って努力するという方向性自体に問題はないのでしょうか?

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