「今を生きる」第127回   大分合同新聞 平成21年9月21日(月)朝刊 文化欄掲載

自分を超えたもの(6)修正版
 禅宗の言葉に「百尺竿(かん)頭(とう)・更に一歩を進めよ」があります。竿頭(頂上)にある人は悟っていると思っていても、まだまだ本物ではない。さらに一歩進んでこそ本物だぞということです。「さらに一歩を進む」は、長い竹ざおの先端からさらに一歩を踏み出すことをいいます。しかし、一歩を踏み出せば、真っ逆さまに地上に落下してしまいます。分別(自我)で考える限り私どもは一歩を踏み出せないのです。なのに「一歩を進めよ」という心は?
 仏法は常識を超えた世界であることを気付かせようとしているのです。我われの常識は、仏法もわれわれの常識の内にあるはずだ、必ず分別で解(わか)るはずだ、お釈迦(しゃか)さんでも高僧の方々も人間であったではないかと考えます。
 現代社会を覆う考えはヒューマニズムです。ヒューマニズムは人文主義とも訳されて、善や真理の根拠を人間を超えた神や仏ではなく、人間の理性、知性の中に見出そうとしています。それで、人間中心主義とも訳されることがあります。その立場からは自分を超えたモノを認めることは矛盾であり、自己否定になるのです。
 現代社会を生きる日本人の多くは、いつの間にかヒューマニズムを生きようとしているのです。それが正しいとか真理であるからというわけではないのです。戦後の文化状況、教育環境、家庭環境がそういう状況をつくり出してきたということです。
 種々の宗教すらも、人間中心主義の中に取り込んでしまい、利用するもの(手段・道具・方法)と化しているのです。結果として、普遍性のある宗教の理解を間違っていることが多いのです。

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