「今を生きる」第135回   大分合同新聞 平成22年1月25日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(1)
 昨年私は60歳となりました。最近の新聞記事に団塊の世代は7人に1人がすでに亡くなっていると出ていました。60歳の平均余命は男性が約22年、女性が約28年と最新の統計には出ています。
 昨年暮れに40年来の友人が60歳でがんで亡くなられました。また正月には小中学校で同級生だった東京の友人と会食をしたが、彼は病気をしてから歩行障害があるものの現役で仕事を続けているといいます。しかし、お互いに老病死の課題が他人事ですまされない年齢になってきていることをひしひしと感じたことでした。
 老病死はできるだけ避けて、逃げて、先送りして、ないものとしたい。これが多くの人の素直な思いでしょう。そしていつの間にか「私だけは死なない」ような錯覚に陥っているのです。数ヶ月前、私の病院で通院治療を受けている84歳になる男性と平均寿命の統計を話題に「85歳の平均余命は約6年ですよ」と話をしまた。そのことを他人事のようにして会話をした記憶があります。その患者さんに新たな疾患が見つかり、本人は同じ病気になった家族の経験から「あと4,5年の命だ」と私にいわれるのです。そして医師をしている孫から「5,6年の命だ」と言われたと、悲しそうに私に教えてくれるのです。
 狂歌に「今までは、人が死ぬとは思うたが、俺が死ぬとは、こいつはたまらん」というのがありますが、自分の老病死を傍観者の如く、向こう側に眺めていることを許さない現実があるということです。この現実をどう受けとめて生きていくことが私にとって一番良いのでしょうか。
 老病死に直面したときの人間の心の弱さ、寂しさ、悲しさなどは私的な事柄として、あまり世間の表面には出されて来なかったのです。しかし、この課題が解決するとき「今を生きる」ことが本当に輝くのです。

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