「今を生きる」第140回   大分合同新聞 平成22年4月5日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(6)
 ここに炭があるとします。その炭の隣に赤々と燃えつつある炭をくっつけて置くと,燃えていなかった炭にも火がついて燃え上がります。そして光と熱を発して燃え尽き、あとに燃えかすの灰が残ります。これが炭と火の関係の自然な在り方です。
 炭は腹黒い煩悩性の私の象徴で、智慧(ちえ)がないために心が暗くて小賢(こざか)しく、いつも損得、勝ち負け、善悪に振り回されています。火が表しているのは仏の智慧の火(光)です。火は光と熱を持っています。光は陰なく照らす仏の光「無量光」と表現されています。熱は熱なきものに熱を伝え、ついには熱を発するものに変化せしめます。「仏の心、仏のはたらき、浄土に触れた者は浄土を背負って立つようになる」という先人の言葉があります。われわれの生身(なまみ)の元気な間は煩悩はなくすることは難しいのですが、仏のはたらきに触れると、その人ならではの輝きへ転じられ個性豊かな人格となり,火(智慧のはたらき)に触れているうちに煩悩も仏の熱で燃え尽きて行くでしょう。
 世俗を生きるわれわれには老病死は確かに嫌なのです。しかし、その原因はわれわれの物の考え方、物の見方の囚(とら)われであることに仏の智慧によって気付かされ,びっくりします。それはまさに“炭に火がついたとき”でしょう。
 びっくりしないのは炭が水に濡れていたり、燃えない不純物が多いからかもしれません。いったん火がつくと、ついには自然と燃え上がるのです。その過程で不思議にも老病死を超える,救いの世界に導かれていることに驚くでしょう。

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