「今を生きる」第142回   大分合同新聞 平成22年5月3日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(8)
 ある60歳代後半の知人と久しぶりに会って、お茶を飲みながら話が弾みました。ご主人も定年後は畑仕事を楽しみながら悠々自適な二人暮らしをされているそうです。話の中で,最近体重が減ってきたのでどこか悪いのではないかと心配になり、種々の医療機関を受診し、最後に診てもらった市民病院の医師から、複数の医療機関を受診してきたことを「医療費の無駄遣い」と暗にやゆされた、とこぼしました。
 結局、診察や検査で体重が減った原因は分からなかったそうです。私の目から見ると、今まで肥満傾向にあったのがちょうど適正な体重になったように思われるのですが……。やゆされたと感じるのは、医療関係者の説明不足があったのかも知れません。
 私が一目おいている経験豊富な内科の医師から、「医療事故、医療過誤に遭わないためには,70歳を超えたらあまり病院へ行かない方がいいですよ、と健康教室で語っている」と教えてもらったことが印象に残っていたので、私は「あまり取り越し苦労をせず、病気になったときは,そのときで対応するぐらいの鷹揚(おうよう)さが大事ではないの」と話しました。
 すると、知人は「何かあって病院へ行って,手遅れだったら損ですからね」と言われたのです。
 老病死を考えるとき、われわれはつい小ざかしく、損得、勝ち負け、善悪の判断基準を当てはめがちです。しかし、日々接する高齢者の方々が、他人より長生きして,得になった、勝った、と喜んでいる風にはどうも思われません(内心はそう思っている方もいるかもしれませんが)。
 人生の全体を考えたとき、損得、勝ち負け、善悪といった小ざかしい世俗の物差しは、決して普遍性のある判断基準でなさそうに思われます。

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