「今を生きる」第147回   大分合同新聞 平成22年7月19日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(13)
 親しい人間関係の出来た患者さんから「医師である、田畑先生が医療と真反対の仏教にどうして関わるのですか」という質問を受けて戸惑いました。「それが世間一般の見方です」と続けて言われたのです。世間の常識といわれるものは、一度は検証してみる必要があると思いますが。
 もし読者のあなたが運悪く、重い病にかかっていることが判明したとします。医師から「病院へ入院したら不自由な生活になるかもしれないが、1年生きられます。もし自宅で普通の生活をするならば4ヶ月ぐらいしか生きられません」と言われたら,どちらを選ぶでしょうか。「命の尊厳」を大事にする立場は入院して1年間を選ぶでしょう。私自身の選びとすると、普通生活の4ヶ月を選ぶ可能性があります。その時の理由は「生活の質」を考えるからです。
 生命の尊厳、命の尊さを大事にする医療の世界や世間の建前からすると「命の尊さ」を損なうようなことは厳しい批判を受けることになるでしょう。宗教をほとんど抜きにした日本の医療文化は「生命の尊厳」を大事にします。世間の建前も「生命の尊厳」を尊重します。それに対しては、誰も表だって反対することはできないでしょう。しかし、読者の皆さんが自分自身の課題として考えた場合、「生活の質」を尊重することになるのではないでしょうか。
 確かに医療関係者も「生活の質」を課題として患者さんの快適度、満足度を上げるために療養環境、種々のサービスに配慮するように努めています。
 仏教が大事にするのは心の内面性の質や深さです、「生きることの質」の課題です。世俗の満足度や快適性にすぐに結びつかないものですから,仏教的なことは世間離れしていると受け取られたりするのでしょう。しかし、老病死の課題に関しては世間的尺度では間に合わなくなるのです。老病死の課題に取り組んだ、長年の思索、熟考の蓄積が仏教にはあるのです。

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