「今を生きる」第156回   大分合同新聞 平成22年11月29日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(22)
 パスカル著のパンセという本に次のような文章があります。「我われは絶壁が見えないようにするために、何か目をさえぎるものを前方においた後、安心して絶壁の方へ走っているのである。」これはわれわれ現代人が「死」という絶壁を見ないように、話題にしないようにして、「生きているうちが花だ」という発想で、人生は楽しいんです、明るいのです、明るい事を話題にしましょう、と絶壁の前に、人生の実相を見えないようにさえぎるものを前方において、老・病・死の方向へ一直線に走っていることを暗示して教えています。
 一昨年の合同新聞の記事(12月17日)「おじさん図鑑」はその象徴的な内容でした。「有名な弥生時代の復元遺跡をおじさんが見学した折のこと。(中略)七、八歳ぐらいの子どもが、若い父親に九州弁でこう問いかけた。
 『ねえ、お父さん、この人たちはみんな死んだと?なぜ死んだと?』父親は優しく答えた。『うーん、病気やらけがやら、年を取ったりして、死んだとやろ』『お父さん、人はなぜ死ぬと?』『皆、順番に死ぬとよ。お父さんもいつか死ぬようになっとるたい』『じゃあ、ぼくもいつか死ぬと?』すかさず父親は答えた。『いいや、おまえは死なん。ずーっと生きとる。大丈夫たい。おまえだけは死なんようになっとる』手をつないで歩き去る親子を見送りながら、おじさんは独り涙ぐむ思いで感動していた。そして心の中でエールを送るのだった。『大丈夫たい。二人ともずーっと死ぬことはなか』」
 この人生に頼りになる確かなものが有るはずだと夢、幻を追い求め、老病死の現実を受容する智慧を身につけないまま、突然、老・病・死に直面してあわてふためくのであります。

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