「今を生きる」第159回   大分合同新聞 平成23年1月24日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(25)
 生活習慣病の一つとして糖尿病があります。最近糖尿病の患者さんが増えています。その原因は遺伝的な素因ということもありますが、食生活、運動習慣が大きな要因となり、肥満、加齢現象、車の普及率と比例しているといわれています。その合併症の一つとして腎臓が悪くなり、透析の治療を必要とする患者も増えてきています。
 そんな重症合併症の患者さんは病気の経過が長くなり、週に3日、数時間の透析治療が必要になり、いや応なしに日常生活が制限され、種々の不安、そして死と向かい合いながら生きることになります。そんな患者さんから「何を楽しみに生きていけばいいんかなあ、先生教えて」という切実な訴えがなされることがあるといいます。これがまさに老病死の受けとめの課題です。
 苦悩の原因を見つけて、それを克服するという方法が可能な間は克服に向けて努力をしていくのでしょうが、克服できない状態になってくるとどうするか。
 先送りできなくなった老病死の現実に直面すると、世俗的な解決方法では間に合わなくなるのです。そこでは哲学的・宗教的な深い思索が大事になります。患者さんの訴えの背後にある思いに気づいていくところに解決のヒントがあるようです。
 患者さんから「生きていてもしょうがない」という叫びは「生きがいを見つけたい」という願いであり、「もう何の役にも立たなくなった」という愚痴は「価値ある存在と認められたい」という思い、「死にたくない」は「死なない命に巡り合いたいという宗教的目覚め」を求める叫び、「死後の不安」は「依り所が欲しい」という気持ちの表現、とそれぞれ受け取ることができるでしょう。
 老病死にかかわる領域では、自他ともに「思い」の背後にあるものに気づく・目覚めるという思索を通して、心を広い次元に解き放つことが大事です。そんな老病死を受けとめて生ききっていける文化が求められています。

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