「今を生きる」第160回   大分合同新聞 平成23年2月7日(月)朝刊 文化欄掲載

老病死を受けとめる(26)
 医師の情報交換の場で、「80歳を超えて次第に体の調子が悪くなり、食事も進まなくなり寝たきりになって死亡していく患者に『老衰』という死亡診断書を書くことがありますか」という意見交換がなされていました。
 興味深かった意見は、「地域医療に携わっていたころ、80歳を超えて自宅で亡くなる人の半分以上には『老衰』という診断をつけていた。ところが都会の大きな病院に移ってから、同じような患者に『老衰』という診断を書いていたら、他の医師から「老衰」という根拠を示せと批判されるようになり、『不詳』と書くことが多くなりました」というのです。そして付け加えるように、「老衰」という診断が書けるような地域医療に早く戻りたいと思っています、と書かれていたのです。
 すると、設備の整った病院の勤務医が、90歳を超えた人が加齢現象で体調の悪いところに脳梗塞も加わり、寝たきり状態になって次第に弱っていき、病院で死亡した症例を提示されて、その場合に死亡診断書に「不詳」と書いたところ、検査をして病気の診断がつかずに、なおかつ病院で死亡したということは「医療ミスか医療過誤」ではないかと家族からクレームが付き、裁判になりかかった、というのです。
 老衰という死亡診断書を書こうとすれば、身体のどこにも病気がないということをはっきりさせなければならないというのは、医学が一つの因(原因)から一つに果(結果)が起こるという因果律の発想に基づいているから出てくるのです。仏教では人間が死ぬ原因は「人間として生まれたこと」であり、病気は種々の「縁」の一つであると教えています。
 高齢者で体力が弱り、何らかの原因で寝たきり状態になったという基礎状況があって、インフルエンザで肺炎になり亡くなったとすれば、原因は決して一つではなく、複合的な要因が重なっていると考える方が理にかなっていると思うのですが、死因は肺炎と書くことになるのです。

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