「今を生きる」第174回   大分合同新聞 平成23年9月5日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(1)
 「老病死を受けとめる」の副題で前回まで約1年間書いてきましたが、例えば「死の不安」ということは「死の受け取り」の問題です。死後のことへの不安のように思われますが、「死の不安」というのは「今、ここ」の課題なのです。死後の課題ではなく、今の課題ということです。
 常識では「死を超える世界」とか「死の不安」をなくすということはあり得ないと思います。医療の世界では「死の不安」で眠れずに悶々としている人には、その訴えを十分に聞きながら原因を推察していきますが、差し迫っては抗不安薬と睡眠導入薬を処方して落ち着かせ、眠れるように対応します。
 しかし、この方法は「死の不安」を先送りする方法ではあっても、死の不安を根本的に解決する方法ではないと思われるのです。なぜなら、翌朝に目が覚めた時に「死の不安」の問題は解決しているか、といわれれば解決は付かずに課題を先送りしただけです。
 仏教の教える方法は「死の不安」に対して、われわれの思考方法の問題点の課題や、その思考方法の足りない弱点に気付かせ、目覚めさせて、死の不安をも超えさせて、人生を安心して生ききる道へと導くのです。それは世俗の道徳・倫理を超えた世界としか言いようのない“目覚め”の世界です。
 現代日本の医療文化は明治以来、西欧の科学的合理主義思考に準拠した医療から学び、東洋医学に勝る恩恵を人びとにもたらしてきました。そのため、現代日本の医療・医学に対する国民の信頼は大きいものがあります。
 病気になると、医療関係者は次から次へと治療方法や薬剤を患者に提示しますが、そうした治療をつくしたとしても、最終的には加齢現象と死は避けることはできないのです。
 今の医療文化だけでは老病死に対しては不十分です。生老病死の四苦を超える道を説く仏教文化の基礎の上に医療文化が展開するならば、多くの人が心豊かに人生を生ききることが実現するでしょう。

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