「今を生きる」第175回   大分合同新聞 平成23年9月19日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(2)
 「老・病・死の課題が解決するならば、今を心豊かに生きることができるでしょう。その老・病・死の課題に直面して医療機関を訪ねる人はたくさんいますが、お寺を訪ねるという人は少ないようです。生きているうちは医療、死んだら仏教、と考える人のなんと多いことでしょう。
 仏教に対する誤解・偏見のために、自分の人生設計の中に仏教を組み込む人はまれということになっています。
 日常診療で、がんになる取り越し苦労をされている高齢の患者さんと親しい人間関係ができた頃、「今、ここを精一杯生きる」仏教の勉強をお勧めしたことがあります。すると「私にはまだ仏教の勉強をするのは早い」と言われました。仏教の勉強は死ぬ前の準備みたいに思われているのだなと思いました。
 私も大学の4年生になるまでは、仏教は現代には役に立たないもの、死ぬ前の人がわらをもつかむ思いで念仏している、という偏見を持っていましたから、気持ちは分かるように思われます。
 しかし、仏教の教える「生死を超える道」はわれわれの常識の延長線上にはない思考の世界、次元を異にするとしか言いようのない発想の世界です。仏教の世界や仏の智慧に触れる者は、「びっくりした」「感動した」「コペルニクス的転回」「目からうろこが落ちた」というような表現をされていることがあります。
 現代の医療文化だけで老・病・死への対応は十分でしょうか。健康で長生きを目指す医療文化で、しあわせな人生を生ききることができるでしょうか。現代の医療・福祉の現場でお会いする高齢者の方々は、健康で長生きを目指して、結果として老・病・死に直面しているのです。老・病・死を先送りしたい、避けたいと思って生きてきて、長生きの結果、老・病・死の現前の事実の真っただ中で戸惑っているのです。どこが問題だったのでしょうか。

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