「今を生きる」第176回   大分合同新聞 平成23年10月3日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(3)
 現代日本の医療を取り巻く文化を支えているのが科学的な思考であります。科学時代の今日を生きるわれわれは、自分の思考に自信を持っています。それは戦後の日本の繁栄を築き上げた成功体験があるからです。それで少し傲慢(ごうまん)になっています。そんな科学的考え方の中に長所・短所があるのです。
 長所は工業製品の生産性の向上、農漁業の機械化による効率化、医療への応用などが実現できたことです。一方短所は、科学的な視点では見えないものがあります。それは時間と空間、それに自分の心の動き、他人の心です。
 「そんなの見えるはずがないではないか」「いや一部を時計や地図、目の前の風景を空間として肉眼で見ている」「人生経験から自分や他人の心を推測している」などの声が聞こえてきそうですが…。
 生命現象のない物質を扱う時には科学的思考は強い力を発揮します。日本の現状は現代文明の物質的な豊かさの表れでしょう。しかし、人々の心の内面が物質的な豊かさに比例した充足度や満足度になっているでしょうか。
 心の内面を深く洞察しているのが仏教です。豊かさを実感するためには智慧(ちえ)が大切なのです。われわれは仏の目覚め、信心を頂いた方々のお話や経典に接することで科学的な思考の短所をいろいろ指摘されて知らされるのです。そのためには謙虚に聞く姿勢が大事です。
 それなりに人生を生きてきた人たちは、世の中のことは知っているという自信で、虚心坦懐(たんかい)に人の話に耳を傾けるという柔軟性に欠ける傾向があります。「これ以上まだ勉強しなければならないのか」という拒否反応みたいな頑(かたく)なさが、心の老いの現象としてあるようです。
 仏教の学びは世俗の知識を増やすのとは反対で、心の執われを解放させていく道ですから、最新の情報機器を使いこなすための知識の学びとは反対の方向性といってよいでしょう。心が軽くなり、自由自在な心境に近づくのです。
 科学は必ずしも万能ではないのです。科学的思考の長所・短所を知って、仏の智慧の次元で世間を見ると、私、私の内面、そして私の周りの全体像がよりリアルに把握されるのです。

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