「今を生きる」第177回   大分合同新聞 平成23年10月17日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(4)
 人間を含めた生物の生命現象は常に変化しているのです。宇宙にあるすべての物質は、時間とともに、だんだんと無秩序な状態になっていき、それがもとの秩序に戻るということはありません。これは「エントロピー増大の法則」と言われています。人間もこの原則を免れることはできません。人間の身体が見た目には同じように見えて維持されているのは、身体の内部で壊れる前に、先に壊して、そして再生成されているからです。このことができなくなると死体になるのです。死んだ体は必ず朽ちていきます。
 仏教関係の絵画で「九相(想)図」といって野に捨てられた死体が徐々に腐敗し、白骨になって朽ち果てていく姿を写実的に九段階に描いた絵が有名です。これは出家した男性の性的煩悩を抑制させるために若い美人の女性をモデルに描いているそうです。仏教は「いろは歌」で有名な「色は匂(にほ)へど 散りぬるを…」と詠(うた)われるように「諸行無常」と教えてくれています。
 生きている人間の生命現象を把握して解明するためには現象を一時的に止めて観察しなければなりません。実体顕微鏡などで動画的に記録することはできるようになってきていますが、現象の一側面にすぎません。ある著名な解剖学者が臨床の医師から「するめを見てイカが分かるか」という皮肉を言われたそうです。干物を観察して、生きたイカの全体像が理解できるかとい問い掛けです。科学的思考の弱点をうまく表現しています。
 確かに、最新の科学的知識を総動員した医学・医療は多くの人の病気の治療で多くの恩恵をもたらしています。しかしながら、それは肉体的な疾病に対してであり、心や精神の領域に関しては長い間研究がなされてきたが、最近やっと現象として捉える方法が出てきたといっていいほどです。知られていない分野の方が圧倒的に大きいといえます。人間の生命現象は科学的方法でも分からないところがいっぱいあるのです。

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