「今を生きる」第179回   大分合同新聞 平成23年11月21日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(6)修正版
 医療と仏教の関わりのところで臨死体験とか、霊が見える、霊と交流したという本が学問的な世界で立派な仕事をしている人が出版したりしています。まさに医療と仏教の境界領域の話題ですので、どう考えていったらよいかを考察してみます。
 仏教は生老病死の四苦にどう対応したら良いのかとか、苦悩からの解放(救い)を具体的に教える道といえます。その中で死後の世界(臨死を含めて)に関しては、いろいろな人が釈尊に質問を投げかけたが、それに対して何も答えなかったと聞いています。そのことについて考えたり、議論することは虚なしい議論(結果)に終わるから、「無記」といって何も答えなかったのです。死後の世界があるいうのも間違い、ないというのも間違いと言われています。「分からない」ということが一番の実際的な答えでしょう。
 事実、死後の世界や霊のあるなしを議論しても双方の議論は噛み合わないようです。仏教はそんなことで時間と頭脳と力を浪費することは愚かであり、そのことは「今、ここを生きる」我が身の救いに結びつかないでしょう、ということだと思われます。
 「仏教とは?」と言われれば、私のうなずきは道元禅師の「仏道を習うとは、自己を習うなり。自己を習うとは、自己を忘るるなり。自己を忘るるとは万法に証せられるなり」が思い出されます。仏道とは、「私とはなにか?」という、自己をはっきりさせるということです。臨死体験や霊の存在の有無は、今ここを生きる生身の私と大きな関係はないということです。そのことを考えるよりは内観(内道)の大事さを教えています。
 仏の智慧による内観、それは私という存在の成り立ち、存在の意味、どこから来てどこに行こうとしているのかという実存的な課題の解決の道を気付かせる鏡(経)です。自分では迷っているとも思わず日々生活していますが、生活の現場で、お思い通りにならないと苦悩する、その根源が、私が迷っているため、智慧がないための結果だと教えるのです。

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