「今を生きる」第184回   大分合同新聞 平成24年2月6日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(11)
 私は外科医として現役の時、手術場で患者さんと対する時は、まさに私情を排した冷静な目で手術野を見ていたと思います。人間として冷たいようだけど、手術場を清潔に準備していき、展開された術野に見える身体は感情を排した肉体的な身体でした。
 人間の解剖的知識、病状の把握、そして外科チームの力量を考慮して適切に判断して対応していくのです。そこでは必然的に客観性が尊重されるということです。ただし、病状の把握と自分たちの力量を私が判断するところにはどうしても問題が残りますが……。
 病気や病巣に対して冷静に対応するとしても、医療は病気だけでなく病がある人間を対象としています。生命に関係しない狭い局所的な病気であれば問題とならないのですが、生命に関わる病気のときは、生活・生命の質を尊重する思考まで考慮されることが求められるようになります。
 そこでは、患者さんの生活環境までも考えながら対応が進められるべきであるということになります。そこでは人間の「生」、すなわち「生活」、「生きること」にとって最善の道はどうあるべきか、ということが問われるようになります。
 日本の医療現場での医療文化は、科学的な思考を尊重して、生活の快適さ、便利さ、気分・気持ちの良さ、までは考慮に入れられるようになってきましたが、患者の人生観・価値観は私的な課題で医療者が関わるべき事柄でない、という雰囲気が席巻しています。
 しかし、生活の全体を全人的に考えていくとき両者は関連性を持っているのです。医療の現場で人間の心の内面、人生観等まで関わるのは、時間的制約もあり一人の医療人には荷が重すぎるということになるでしょう。現状の医療現場は効率・能率・確率と偏った合理主義が進んで、人間性を失うような領域になってはいないでしょうか。
 人間性を深く思索していった先人の哲学・宗教の智慧、仏教文化に耳を傾けることで、治療の結果のいかんを問わず、患者さんも医療人も共に「足るを知る」世界に導かれるのではないかと思うのです。

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