「今を生きる」第185回   大分合同新聞 平成24年2月20日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(12)
 現役の外科医としてがん患者の手術を行っていた頃、進行がんや末期がんの患者にどう言葉かけをすればよいのかと悩んでいました、40歳前後のことです。私は仏教の師に「何と言って、言葉かけをしたらよいでしょうか」と質問をしました。
 師は、「お任せするということをしっかり言ってあげなさい」「仏さんがいらっしゃるということをしっかり言ってあげなさい」と答えていただいた。
 初めの「お任せする」は言うことができると思いました。 しかし、「仏さんがいらっしゃる」の方は、当時の私は言うことができませんでした。傲慢(ごうまん)かも知れませんが自分の心に納得できないことは言えなかったのです。
 その後、仏教の学びと人生経験の中で、いつの間にか「仏さんはいらっしゃる」と言うことが出来るようになったのです。仏さんというと私たちはお寺や美術館の仏像や絵像をイメージしてしまいます。それを見て仏と思いがちです。それらは仏を象徴しているかもしれませんが、仏ではありません。私たちには仏は「はたらき」として認知されるのです。どういうはたらきでしょうか?
 それは私の迷っている姿を「知らせる」というはたらきです。私たちは自分が迷っているとは思っていません。私こそ、まともだと自信を持っています。
 幸福を目指しながら生きているあなたの行き着く先は、幸福で終わるでしょうか。 老病死につかまり死んでいくとき「不幸の完成」ということになりはしませんか。 私の受け持った高齢者の患者さんが晩年に「役に立たない。迷惑をかける……」と自分で自分を廃品の如く思い込み、自分を傷つけようとしたことがありました、痛ましいことです。
 仏の智慧(ちえ)の世界を恵まれたものは必ず「人間に生まれてよかった。生きてきてよかった」と受け取っていくように導かれるでしょう。これが迷いを超えた姿です。

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