「今を生きる」第184回   大分合同新聞 平成24年3月5日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(13)
 現代医療は科学を基礎としています。科学の根本原理は、客観性と再現性です。いつでも、どこでも、誰がやっても、ほぼ同じ結果が得られるときに、その結論が科学の枠組みに組み込まれていきます。個人的な個別体験はデータから極力除かれるように配慮されています。そのためには、「誰が何をした」と主語を使って表現するのではなく、主語を消して「何が起こった」と客観的に表現することが求められています。現在の医療は客観的な事実やその統計の資料にもとづく医療文化に依(よ)っているということです。
 別の表現をするなら、科学的に解明された知識には、担当した本人(私)は含まれていません。科学ではいろんな出来事や現象を説明する法則みたいなものが知識として増えていくのです。私自身を研究対象とする時は、数字や形、色などの客観的に表現されて把握できる範囲という限定があります、悲しい、寂しいなどの感性や心の中の思い、無意識の領域は取り扱うことに適していません。
 自分の意識や無意識の領域は、客観的な表現では表すことができない領域ですから、科学で扱うには困難ということです。その為に科学で扱う領域は私の外側のことが大部分で、自分の心とか、心の内面や深層意識に対しては、ほとんど対象とされないまま今日まで来ているのです。
 仏教では唯識で代表される意識、無意識に関しての思索の蓄積があります。西欧の研究者が意識や無意識の研究を始めたころ、既に仏教の中に意識・無意識の領域の思索研究がなされていることを知って、仏教の智慧(ちえ)を彼らも研究に取り入れています。そういうこともあって、仏教が日本の文化に何を貢献したかという問い対して「内観」ということが言われているのです。
 仏教の智慧の視点は自分を含めた全体を見る視点です。それを目覚め、気づき、悟りと表現しているのです。自分を含めた視点ならば、物事の全体を知ることによって、その人の人格性が変化するという事実が展開するでしょう。本人には分らないのですが、見る目(智慧)のある人には分るのです。

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