「今を生きる」第193回   大分合同新聞 平成24年6月18日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(20)
 最近、おなかの調子を壊して,だるさと,おなかの不快感、元気が出ないという症状を経験して,あらためて患者の気持ちを経験した。苦しい真っただ中では、この症状さえ良くなればという気持ちでいっぱいであった。患者にとっては回復可能な病気なら早く健康に戻ってほしいという思いばかりでしょう。
 回復が難しい病気にも、いつかは直面せざるを得ないでしょう。癌の病状が進み、救命・延命の可能性を求めて化学療法を受けていた患者が全身倦怠感と副作用のために、医師・看護師に「こんなきつい思いをして、生きている意味はあるのでしょうか、いっそうのこと、早く死にたい」と訴えたとき。医療人はどう答えるでしょうか。
 医療人は病の病態、治療・看護方法には専門的な知識を持っているでしょう、しかし、人間の「存在の意味」や「生きる意味」、「死んだらどうなるのか」を問われたときには、ほとんど答えることはできないでしょう。
 全人的ないのちの把握で、医療文化の基礎の科学的思考で把握できているのは身体的・精神的な一部であって、存在の意味、生きる意味、人生の目的は……など哲学的・宗教的な領域については、医療人はほとんど訓練されていないのです。
 担当医師や看護師が、病気で苦しみ悩む入院患者への対応は,自分の専門守備範囲をすればこと足れりと考えるのは問題でしょう。身体の局所の異常ならばそれで良いでしょうが,いのちの全体が問題となる疾病では,もう少し大きな視点での対応が求められるということです。
 滋賀大学の「医療者と宗教者の協働による緩和医療のための医学教育実践の研究」で、@必要に応じて医療チームに宗教者がいても当然という、医療者側の意識改革 A医療チームの一員として活躍できる力量を備えた宗教者の育成の重要性を確認したーという報告書が2011年に出版されています。

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