「今を生きる」第196回   大分合同新聞 平成24年7月30日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(23)修正版
 医療界では多くの医師・看護師は患者さんの「健康で長生き」を目指しています。一般の人々も多分この目標に異存はないでしょう。
 では「健康で長生き」が人生における目的かどうかは、どう考えますか。
 日本(他の国々のことは分かりませんが)の社会において、生きるための方法・手段については情報があふれています。生活していくためにはどのような職業があるか。その職業に就くためにはどういうものを学ぶ必要があるか。どういう資格が必要か、などといろいろ学んだり、教えたりする教育の場もたくさんあります。しかし、生きることの目的となると、極端に情報が少なくなります。
 あらたまって生きる目的なんて言われると戸惑ってしまうでしょう。分かっているようで、全くと言っていいほど分からないのが生きる目的です。それは生まれたという事実が受け身だからではないでしょうか。気づいてみたら、すでに生まれていた。差し迫って生活しなければならないから、お金を稼ぎ、生きていかなければならない。生きる目的とか深く考えずに、「まず仕事」と惰性的に流されているのが現実です。
 働くことは、自分の時間が割かれ、身も心も時にはつらく、たいへんなことです。キリスト教では、労働とは人間が神に背いた罪の報いによって、死ということと労働ということが罰として与えられたのだとも聞いたことがあります。
 そうすると、西洋も東洋も世間的に働くとは額に汗するしんどいことなのだと理解されています。だから人間は、働かずにご飯が食べられるならば、それが一番楽で、その道を多くの人は選ぼうとします。
 仏教では、生かされているということはそこに自然と、この世で与えられた使命・役割・仕事が気づきの中に知らされると教えられています。仏さんから与えられた仕事とは一体どんなものでしょうか。

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