「今を生きる」第199回   大分合同新聞 平成24年9月3日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(26)
 禅宗では日常の活動の全てが修行になると教えているそうです。お寺での修行の約80%は家庭で主婦がしている仕事と同じだそうです。曹洞宗の開祖、道元禅師は中国に留学中、食事の係りをしていた修行経験のある僧に「あなたは厨房での食事の準備の仕事などは若い者に任せて、座禅、瞑想など仏教の修行の方をされた方がよいのではないか」と言ったら、その僧は「君は仏教(禅)が分かってないね」と言われたということを帰国後、弟子に話したという記録が残っています。
 禅宗では、勤労のことを「作務」と呼びます。人間として当然の務めを果たすという意味です。ある禅師の言葉に「一日不作、一日不食」があります。これは一日一日、人として生かされていることで果たす役割、使命があり、その務めを果たしてゆくところに「作務」の意義と修行の大切さがあることを説いたもので、禅師自らの生活の中で自戒されていたと聞いています。
 仏教の智慧がないと、「今、ここに居る」ことを当然として、その上で何かよい仕事はないかと考えていきます。しかし、仏教の智慧を頂くと「今、ここに居る」ことは当たり前の事ではなく、時間的、空間的に無数のもので生かされている、支えられている、教えられている、願われている、と自分の存在の背後にある“はたらき”を感じ取ることができるのです。
 そうしますと、生かされていることで果たす役割、使命にも自然と気付かされてくるのです。それは目覚め、悟りということもできるでしょう。ある人は、その役割を「仏さんから頂いた仕事」と受け取ったと表現されています。
 それを聞いた普通の人は知識として、そんな考え方もあるのかと受け取ってしまいがちです。しかし、謙虚にそこまで考えたことがなかったと仏の智慧によって自分の愚かさに気付くならば、その後の反応と行動が違ってくるのです。自分という存在の背後にある意味を深く感じ取る仏智を頂く者は、自分に与えられた場を「喜んでさせていただく仕事」として取り組んでいくでしょう。

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