「今を生きる」第200回   大分合同新聞 平成24年9月17日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(27)
 イキイキと生きている内面を尋ねると、質的な大きな違いがあることを知らされます。仏教でいうと菩薩(ぼさつ)と餓鬼の違いに似ています。科学的思考ではそのイキイキの内面の違いは分かりづらいでしょう。なぜならば、表面上は同じイキイキ働いている姿を示すからです。
 内心境に渉(わた)るというように、内なる思いが外の境涯に関係し交渉を持ってきます。内なる考えが顔色に出たり態度に出てきたりします。心の内に思っていても、外に何か行動として出てこないと「行」と言わないのです。われわれの日々の生活の行は内なる心の表われです。
 心の内面に不足・不満の思いがあると、何かを取り込んで満たしたいという欲が起こるのです。小さい子どもが、あれが欲しい、これが欲しいと駄々をこねる状態を餓鬼と言います。われわれが不足不満を何かで満たそうとしているさまが餓鬼と同じなのです。取り込んで満たそうとする行動は見た目には「イキイキ」と働いていると見えるのです。
 一方、私という存在が多くのおかげさまによって生かされている、支えられているという事実に智慧(ちえ)の眼(め)で気付かされる時、その感動によって内面の充実があり、足るを知った者はそのあふれ出る喜び・感動を周りに伝えずにはおれないという姿を示します。その行動は周りの人々に温かさと安心を与えます、その菩薩(ぼさつ)様みたいな働きは、見た目に「イキイキ」という姿を示します。
 私が40歳の頃、転勤になり新天地に赴任した時に、仏教の師よりお手紙をいただきました。そこには「あなたがしかるべき所で、しかるべき役を果たすのは、今までお育て頂いたことに対する報恩行ですよ」という趣旨の内容でした。私の心の内面の、いろいろなものを取り込もうという根性の在り方が餓鬼であったということを嫌というほど知らされました。

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