「今を生きる」第202回   大分合同新聞 平成24年10月15日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(29)
 種々の痛みを緩和する医療において、何かをしてあげるではなく、寄り添うことの大切さが指摘されています。子どもが病気で、身の置き場のないような体調のとき、親の手でからだをさすってあげ、手を握ってあげ、寄り添うことが癒しにつながることがあります。
 世間では物を生産する、お金を稼ぐことに結び付く仕事が尊重される傾向にありますが、単に存在することだけでも他へのはたらきかけ、仕事になるのです。われわれが間柄を持つ存在、人間といわれるのは、他との関係性(間柄)の中で生きる存在だからでしょう。子どもが生まれるとその時から、単なる男女であった存在が親になるのです。父親・母親という役割、使命、仕事が与えられるのです。生まれたばかりの新生児も“子ども”という役割が与えられるのです。
 仏教の智慧(ちえ)では生物の在り方はその時々において、完結性を持っていると教えてくれます。完結性とはその時、その時が取り返しのつかない、やり直しのきかない貴重な完成した時、「今」「ここ」なのだということです。赤ん坊には赤ん坊の役割・使命があり、小学生に小学生の役割・使命が与えられているのです。病人には病人の、老人には老人の役割・使命があるのです。
 世間では役に立つ・立たない、迷惑を掛ける・掛けない、利用価値がある・ない、能力のある・ないなどの物差しで判断してしまいがちですが、それは濁った眼、煩悩の眼での判断であり、偏った考えではないかと教えるのが仏智です。
 世間の知恵は、物事の表面的な価値を計算する見方です。仏教の智慧は、物事の背後に在る意味を感得する見方といわれます。世間の知恵は表面的なものしか見えてないのです。われわれの従事する仕事・行動が有意義で真実にかなうものだと、充実感を感じ、無意味だと虚しさに結び付きます。
 仏教の智慧において存在の意味をより広く、より深く感じ取ることができるのです。同じ仕事であってもその受け取り方、その取り組み方は一人一人の心の在り方と視点の浅い・深いで大きく変わるでしょう。

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