「今を生きる」第207回   大分合同新聞 平成25年1月21日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(34)
 健康の定義に今までの「身体的」「精神的」「社会的」な要因に加えて「スピリチュアル」という要素が加わろうとしています。このスピリチュアルをどう考えるかが課題になって久しいのです。ある学者がスピリチュアルな痛み(ペイン)を、「自己の存在と意味の消滅から生じる苦痛」と定義しています。
 分かりやすくいうと、今までできていたことが病気でできなくなり、自律性が失われる危機に直面すること、また自分の死を境に未来の展望がなくなり、周囲との関係性がなくなることで起こる苦しみをスピリチュアルな痛みというのです。
 厳密な表現で言うと私が世界を、人生を「どのように受け止めているか」のような世の中の根本了解と、その人生にどう生きていこうとしているかの根本姿勢を合わせて、その人の「スピリチュアルなあり方」ということができるのです。
 がんで亡くなる多くの人と関わりを持った柏木哲夫氏(大阪大学名誉教授)は「人はなぜ生まれて死んでいくのか」「なぜ自分だけにこういう事が起こったのか」「生きるとはどういうことか」「許されるとはどういうことか」「死んだ人はどこに行くのか」「あの人は今どこにいるのか」「生きる事の価値は何か」「残りの人生に価値はあるのか」「私は何か悪いことをしたのか」などの訴えをよく聞いたそうです。これらは人間存在の根本的な所から起こる訴えであり、スピリチュアルな痛みというのです。
 私が自分のこと、世の中、世界の状況をどのように把握・認識して、その状況にどのように対応しようとするか、その私の把握・認識とそれに処する姿勢の総合が「スピリチュアルな領域」ということです。単に眺めるように見るのではなく、自分の身が直接に生きる・死ぬを問われる場合の課題です。宗教とも多くの重なりを持っていて、宗教的智慧を持たないと対応が難しいと思われます。
 健康に関して問われるスピリチュアリティは週刊誌やテレビのバラエティ番組で話題になるスピリチュアル絡みの人物霊や自然霊の話とは質的に異なるものです。生きる死ぬが切実な問題の臨床の場では人間存在の根本的な領域が課題となり、週刊誌的な話題や世俗的な「善悪、損得、勝ち負け」などを超えているというか、間に合わない、そんな根本的な領域の事なのです。

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