「今を生きる」第209回   大分合同新聞 平成25年2月18日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(36)
 ある哲学者が、われわれの考え方に2種類の思考があると指摘しています。根源的(全体的)な思考と計算的な思考とに分けて示しています。世俗的な知恵と仏教の智慧(ちえ)に相当するようです。世間の知恵は、ものの表面的な価値を計算する見方です。仏教の智慧は、物事の背後にある意味を感得する見方である、と教えられています。
 医学が準拠するのは科学的な思考で、これは計算的思考に相当します。科学者は深く思考していると思うのですが、哲学者からいうと「計算的思考」だそうです。それは、「how to, どうしてそうなるのか」という現象のからくりを思考するからです。全体的思考とは、「why、なぜそうなるのか」という思惟(しゆい)です。
 科学の計算的思考というものは、思考の細分化・局地化です。つまり、人体の一部分を見て人間全体を見ていると思ってしまうような局地化です。全体的思考とは何かといったら、人間が「物のいうことを聞く」という態度だと言うのです。万物や現前の事実・現象が語っていることに、人間がつつましく耳を傾ける。物がわれわれに向って語りかけている言葉を聞く、その物の背後にある意味を感得するということが、本当に物事を全体的に考えるということだと言うのです。人間が分別で物を支配しようとしない思考のことです。物を管理するとか支配するという思惟は計算的思考になるのです。
 詩や俳句をたしなまれる人は、自然や現象が語りかける心を聞くという態度で受け取り、文学的に表現するそうです。「自分が作る句」ではなく、「自然となる句」が良い俳句だそうです。
 医療文化は、どうしても計算的思考であって全体的思考ではありません。仏教文化は、本来は人間、人生の全体を課題とする領域です。局所は全体に包含されるのが自然ですが、現代の日本は医療の方が尊重されて、仏教の方への関心が残念ながら薄いという現実があります。

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