「今を生きる」第210回   大分合同新聞 平成25年3月4日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(37)
 医療文化の基礎の科学の世界は「計算的な思考」の世界です。医学教育を受けてみると、人間の身体の構造や病気が起こるからくり、治療に関する技術・知識、薬剤の作用機序を学びます。専門分野の知識を学び患者との対応の中で経験を積んで行くと、自然とそれなりの病気に対応する力量のある医師にはなっていくでしょう。
 病気は身体の中の部分的な病的な現象が多いので、局所の病気をさらに深く、詳しく研究して、細分化した専門領域の知識を増やし、さらに経験を積むと細分化した領域の専門医となります。
 専門家と素人では知識・経験に格段の差ができます。素人の患者にとっては病気や治療法の説明を聞きながらも、最終的には専門家の医師にお任せするしかないでしょう。専門家であり人間的に信頼のできる存在であるだろうから、「お任せでよい」と考えてきたのです。医師への「お任せ」を、子どもが親に任せることに似ているのでパターナリズム(父権主義)と表現されています。父親は自分の子どもに悪いことはしないだろうという信頼関係です。
 外傷や感染症に対する対応や、確実に治癒に結びつく治療では、医師の専門的な知識で対応することに患者は異論をはさむ余地は少ないのですが、生活習慣病や生理的な加齢現象に関係する疾病に対応するとき、また根本的な治癒が期待できないような場合は、どうしても患者の人生観、価値観、病気観、死生観との調整が必要になってきます。
 命の生きる・死ぬに関わる病気のときは、人間全体や人生全体のことを考える必要が出てきます。確かに内科・外科の医師は全身状態を考えながら病気に対処してくれています。
 しかし、医師の視点は身体的な全身状態(一部、精神状態の把握も含む)の状況把握・認識であって、社会生活をする全人的な人間存在としての患者の人生全体を考慮した状況の把握まで広がることは難しいと思われます。

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