「今を生きる」第219回   大分合同新聞 平成25年7月15日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(46)
 「健康で長生き」して豊かな人生、生きがいのある人生を目指すとき、「健康で長生き」が基礎にあって、その上で「豊かな、生きがいのある」というように考えて、「豊かな、生きがいのある」は個人的領域で医療が関わるべきことではない、と一般に考えられています。
 健康で長生きが人間の基礎的な願望で、その上の願いが「豊かで、生きがいのある」と思われます。しかし、医療文化の発想で「豊かで生きがいのある」ということを考えるとき、快適、便利、苦痛なく、量的豊かさなどの表面的、体感できる部分を主に考えて、心の内面的な部分に対しては弱い傾向があるのです。
 心の内面的な豊かさ、心の奥底での生きがい、などは哲学、宗教が長年の思索の文化の蓄積があります。その領域に触れていくと、健康で長生きという人間の願望の領域をも超える世界、質を異にしている深さに驚かされるのです。「命あっての物種」、「長生きしてこそ」、という発想を超えているということです。同時に人間の世俗的な願望に潜む課題をも指摘するのです。
 科学的思考の分別は心の内面的な質に関しては客観的に把握しにくいために私的な事として考慮に入れないのです。しかし、仏教は人間の願望の内部が不足・欠乏であることを見抜き、同時に渇愛というように、それは満たされても一時的であって、喉の渇きを塩水でうるおすようなもので、不足不満の悪循環になっていくことを見抜いているのです。科学的思考で質を満たそうとしても、心の不足、欠乏は解消せず、迷いを繰り返すと教えています。
 仏の心に触れることで自分の小賢しさと愚かさに気づかされ、仏の智慧・慈悲のはたらきで「人間に生まれてよかった、生きてきてよかった」という世界に目覚め、「健康で長生き」に執われない、むしろそれを超えて「足るを知る」世界に導かれます。そして「今、ここ」で精一杯生ききる在り方へと導かれ、あとは大いなるものにお任せとなるでしょう。

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