「今を生きる」第223回   大分合同新聞 平成25年9月16日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(50)
 介護保険でデイ―サービスを利用している高齢者に、皆とマスゲームをすることを嫌う人がいるといいます。それはそれなりの主体性を持っている人に多いようです。 そんな高齢者でも仏法にご縁のない人は、一人居て「寂しい」と言い、多数で居ると「やかましい」という傾向があるようです。
 仏教の智慧をいただく者は「一人でいると静かでいい」と言い、多数で居ると「にぎやかでいい」と言うと聞きました。そんなことを思わせる患者との対話がありました。
▽田畑「いろいろと健康に気をつけて、努力されていますね、長生きして何かやりたいことが有るのですか」 60歳代男性「別にないのですが、いま生きがいを探しています」
▽81歳女性。いろいろと多種類の薬を健康のために希望されます。田畑「元気で80歳を超えられて良かったですね。さらに健康で長生きして、何か目的はあるのですか」。女性「長生きして何かやりたいこととは別にないのですが…」。 田畑「いろいろな薬を飲んで、体を傷つける可能性のあることはしない方がよいですよ」。女性「これまで長生きして、勝ち抜いてきたから、これからも勝ち抜いて長生きしたい」
▽87歳男性「こんなに長生きすると、知り合いが次から次に死んでいって、寂しい」
▽88歳女性「私は役に立たない、迷惑をかける、本当なら姨捨(おばすて)山に捨てられてしかるべきなのに。夜休んだまま目が覚めなければよいのに」
▽100歳女性「長生きしすぎた、知り合いの者がいなくなり寂しい。早く死にたい」
 仏教は私を目覚めに導くものです。仏の智慧で、「生かされている」「支えられている」と気づかされる者は、そこで生かされていることで果たす役割に気づくのです。それが仏さんからいただいた使命、仕事です。この世で仕事が終わった時、ちょうど良い時に、仏さんがお迎えに来るといいます。「いつまで生きるかは仏さんへお任せ」の気持ちで生きてゆけるといいですね。

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