「今を生きる」第226回   大分合同新聞 平成25年11月4日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(53)
 医療の準拠する科学的思考は物事のからくりを究明するのに力を発揮します。実際、科学は生命現象の機序や病気の原因究明に大きな貢献を果たしてきました。
 医学、生物学の発達で、生殖現象も細部まで、そのからくりが分かってきました。その知見の結果で、人工授精で多くの子どもが誕生したり、不妊症の治療で多くの夫婦が恩恵を受けています。子どもが欲しいという夫婦には恩恵であるかも知れませんが、子どもから「頼みもしないのに、親が勝手に産んで」と言われたとき、その親はどう対応するのでしょうか。
 以前、大分合同新聞に、大分大学関係者の言葉として「昭和42年、助手の時に、生活態度が気になる学生に、君の姿を両親はどう見るだろうか」と諭したところ、「自分は親の快楽の犠牲者で、父母には何の恩もない」と言われてビックリした、という記事が出ていました。
 「何で人間に生まれたのか」「何でこんな病気になったのか」「何でこんな親のもとに生まれたんだ」などの問いに対して科学的思考では納得できる答えを出すことはできないです。
 医療現場で患者から発せられる苦悩の訴えの内容を分類すると、(T)身体的、(2)精神的、(3)社会的、(4)宗教的(実存的)に分けることができます。科学が対応できるのは(1)と(2)、(3)の一部です。
 「何で私ががんになったのか?」死ぬために生きているのですか?」「死んだらどうなるのか」などの問いは、人生観、病気観、死生観、価値観などに関係する領域で、科学的思考では対応が難しいと思われます。
 個人の人生観、価値観などに沿った対応を患者の「物語に基づいた医療」という表現で言われるようになっています。人間にとして生まれた物語、生きることの物語、死んで行くことの物語、そういった豊かな物語性を教えるのは宗教、仏教の世界です。
 生命現象のからくりを解明する科学的思考からは豊かな人生観、死生観などの物語は出てきそうにありません。

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