「今を生きる」第228回   大分合同新聞 平成25年12月2日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(55)
 量と質を考えるとき、つぎのような文に出合いました。ある僧侶が、ハンセン病患者が生活していた施設を訪問したときの感想です。
「その日は快晴だった。施設の敷地、それは塀に取り囲まれているが、それでも私の想像をはるかに超えて広いと感じた。敷地の一番端に立つと、向こう側の塀が見えないほどでした。職員・入所者の方々から案内されて、“広大な”敷地内の様々な施設を見学しながら、差別の歴史・悲しみを肌で感じていたつもりであったが・・・、その時、案内してくださった方が、青空を見上げながらおっしゃったのだ。『いくら敷地の面積が広くとも、私たちにとっては閉じ込められた狭い世界なのです・・・』その言葉は、今までの自分のハンセン病差別の知識を根底からひっくり返すほどの衝撃だった。何一つもわかっていなかったのだ」
 現代人の思考では量的に広い、多いということが実感的に分かりやすいでしょう。医療の世界で長生きと言えば、生きている時間の量的な長さということになります。日本人は生きている時間の量的な長さは世界でトップグループにいます。
 その長生きを達成した人が、「年をとるということは楽しいことですね。今まで見えなかった世界が見えるようになるんですよ」「人間に生まれて良かった。生きてきて良かった」と、しみじみと喜びの時間になるのか、それとも「年をとって何も良いことはない。腰が痛くなる、目が薄くなる、耳は遠くなる」という愚痴をいう時間になるのか、一人一人の年の取り方が問われてきます。
 質を問題とする時、医療文化では五官(眼、耳、鼻、舌、身体)に感じる心地よさ、便利さ、効率の良さ、きれいさ、清潔さなどを考えますが、どうしても表層的に思えるのです。
 一方、仏教文化は、人間存在の根底にあると思われる深い質の領域、すなわち人生の意味、どういうことが本当の幸せ,心からの満足とは、深層意識などの根源的なものへの気づき、目覚めを大事にします。
 仏の目覚めから、人間や人生を深く広く見つめる豊かな仏教文化の上に医療が展開することが願われます。

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