「今を生きる」第230回   大分合同新聞 平成25年12月30日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(57)
 「気付き目覚めで仏教は人を救う」ということが分かりにくいと読者に言われます。
 仏教は自分のよって立つ考え方を問題とするということです。世の中の多くの人は、物事を考える時、「善か悪か」「損か得か」「勝ちか負けか」というような考えで動いているように見えます。その真っただ中にいると、「その考え方が全てである、それ以外考えられない」となります。
 仏教はそのような偏った考え方を「我見」と言い当てます。義務教育においてもそうですが、その後の高校、大学教育では、その考えに磨きをかけていく方向で教育がなされます。
 教育の二大柱は、文化の伝承と人格の涵(かん)養(よう)であるはずが、文化の伝達が大きな関心事で、知識を増やすことが博学ともてはやされ、資格の習得を求められ、それで能力の有無、頭が良しあしを評価されます。人格の涵養ということがおろそかにされています。私自身の場合もそうでした。
 自我意識が出る年ごろから、お利口さんに振る舞う小ざかしさを持ち、競争社会を脇目も振らず突進し、職業人として医学教育を受け…、まさに知識だけの習得だけに励みました。そんな私の生き方を仏教の師が、「自我意識の殻の中の生き方です」と指摘された時は、まさに「ビックリ」しました。その生き方を当然として、その上で種々の思考をしていることを、「偏った考え方」「煩悩に汚染された考え方」と教えられたのです。
 これが仏の悟り、仏教の智慧の視点からの見方です。自我意識が外の事物をキョロキョロと見るのではなく、仏の智慧の眼で私(自我意識)を見るという思考への百八十度の方向転換です。
 私が外界を見るという視点では「私」が問題になることはほとんどありません。しかし、仏教はその「私(自我意識)」を問題とし、その殻を超える世界を教えるのです。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.