「今を生きる」第235回   大分合同新聞 平成26年3月10日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(62)
 仏教は老いによってしぼまない、病によって傷つかない、死によって滅びないいのち(無量寿)を生きる、いや、生かされていることに気づいていくことが大事なのですよと、われわれの眼を覚まさせるのです。
 仏教、キリスト教、イスラム教は宗教哲学の領域で世界宗教と言われています。それらは民族宗教の中から発展展開して、地域を超え、民族を超えて目覚め、悟りを教える普遍性を持つようになり、世界宗教と言われるようになっています。その教えには世俗の価値観を超える内容があります。
 仏の智慧をいただいて生きる者は、今、ここで生かされていることの有り難さ、かたじけなさ、もったいなさ、を感得して「私が今、生きていることの満足(存在の満足)」を感じるのです。今、ここで見えるいのちは見えないいのちによって生かされている、支えられている、願われている、教えられていると身体全体で受け取ることのできる者は、必然と「足るを知る」者となります。
 今、ここで心身ともに満たされる者は未来の幸せを求めようとはしないでしょう。そして満たされていることであふれ出る喜びを、ご縁のある多くの人と共に生きていきたいという願いを持つようになります。
 智慧を生きる基本とする者は、理性・知性に潜む煩悩性(私は仏教の智慧がなくても正しい判断が出来る。私の考えは間違いないと独断になる。他人と比較して優越感・劣等感で心が揺れ動く。わが身がかわいいという甘さが思考に入り込む)を智慧(無量光)によって照らされ、気付いて生きてゆくようになります。
 仏教は世間の物事の判断で、なんでも「有り難い」と保守的になるのではなく、煩悩に振り回されない、より理性的、より知性的な判断ができるように導く教えです。
 浄土教の「南無阿弥陀仏」は「汝(なんじ)、小さな殻を出て、大きな世界を生きよ」とわれわれに呼びかけ、呼び覚まし、目覚めさせる働きです。その働きを受け取った者は、仏の智慧を生きていきます、「南無阿弥陀仏」と念仏し、無量寿を生きる者に転じられていきます。

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