「今を生きる」第249回   大分合同新聞 平成26年9月29日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(76)
 先日、NHKの放送で宇佐市院内町の龍岩寺の三体の仏像が紹介されていました。地元の人たちが仏像にお参りしている情景を解説して「地域の人たちが昔から何々の願い事をお祈りしています」という内容にちょっとびっくりしました。公的な放送のNHKでも注意してみると、お寺や神社の説明は、「現世の幸せを祈る」とか、どういう「ご利益があるといわれています」という説明がほとんどです。知的な仕事に従事するマスコミの人も仏教の内容を表面的にしか理解してないのが残念です。
 宗教は人間の「よりよい生活をしたい」という動機から始まり、「その実現を邪魔するものに、どう対応するか」と考えるところから発達したと思われます。
 日本においては食物、コメがたくさん取れることが「豊かさ」を象徴する時代が長く続いてきました。科学が発達していない頃は天気を左右するのは自然で、それをつかさどる何か、神みたいなものを想定して、神様に祈願する民族宗教(民族内にとどまる宗教)が起こったといわれています。
 一方で人間は、「欲望の数だけ神をつくり出す」ともいわれています。しかし、科学が発展して神の名前で言われていたものの多くは科学でからくりが解明され、多くの神は有名無実化しました。
 民族宗教から世界宗教へ展開し、目覚め、悟りと分別を超える展開をした仏教は時代、民族、国を超えて、シルクロード、中国、朝鮮を経て日本に伝わって来ました。選ばれた出家の僧侶だけが占有するのではなく、在家を含む多くの人が救われる大乗仏教が伝わって来たのですが、知識を持つ選ばれた人の仏教にながくとどまりました。日々の生活に苦悩する庶民の救いは、平安末期から鎌倉時代の源信、法然、親鸞による浄土教の広がりを待たねばなりませんでした。
 仏教学者の鈴木大拙(1870-1966)が妙好人(みょうこうにん)として世界に紹介した在野の無名の篤信家たち。彼らは浄土教に出合うことで、禅宗の厳しい修行で得られる悟りに等しい仏の華が、汚泥(煩悩に相当)の中にハスの華として開花したのです。生死の四苦を超える仏道、慈悲として無条件の救いを教える本来の仏教こそが、庶民の老病死の現場で働く仏教と思われます。

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