「今を生きる」第251回   大分合同新聞 平成26年10月27日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(78)
 一般の外来診療では、病人全体を診るよりは病気を診ることの方が容易かもしれません(重症患者は除く)。擦り傷がなかなか治らないとか、切り傷で縫合が必要な患者は病気すなわち局所の問題が主ですから、病巣を診て適切に処置すると自然の治癒力で多くは治癒していきます。
 一方生活習慣病といわれる糖尿病、高血圧症などは食事療法、運動療法をしていただいた上に薬物療法がなされるのです。基本はやはり食事・運動療法などの日常生活習慣が大事です。薬剤での細やかな治療法を実施しようとしても、食事や喫煙、運動などの生活習慣の改善が十分になされてないと薬剤による治療効果は不十分になります。そこで患者の生活指導が医療の中で大きな役割を占めることになります。
 糖尿病の患者で、食事療法も十分でなく、薬の服用も時々忘れるという人にきちんと治療をしていきましょうと話をしたら、「私はいつ死んでもよいのじゃ」と言われて、一瞬、戸惑ったことがあります。そのつもりならば、病院へ治療に来なければよいのにと思いましたが、少しは治療意欲があるから通院するのでしょう。
 主治医とすれば患者にいい状態で生活してもらいたいから種々のアドバイスをします。その治療状況は指標となる検査の数字に表れてきます。その数字は患者と医師の協働による治療成績ということになります。第三者から見られてもいい管理状況であることが医師としての評価にもつながります。「先生はこのレベルの治療しかしてないのですか」と言われたくないからです。
 患者との人間関係の中で「縁のある者」として患者がいい状態であって欲しいと思うのは人情です。そこでは病気だけではなく、病人を相手にした全人的対応(食事療法、運動療法、人生観など)まで考えたくなるのです。
 医療の現場は老病死に直面して人間の本性がもろに出る場です。病気を縁として人生の伴走者として、本音と建前を使い分けなくてもよい、対話のできる場でありたいものです。

(C)Copyright 1999-2017 Tannisho ni kiku kai. All right reserved.