「今を生きる」第252回   大分合同新聞 平成26年11月10日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(79)
 患者に、「どういう主治医に巡り合うかも寿命を決定する要素の一つです」、と説明することがあります。都会だと複数の医師に容易に意見を求められますが、地方の過疎地では医師の数が少なく、患者が主治医を選ぶことができない場合もあります。
 患者から「風邪をひいたからすぐ効く薬をください」とか、「元気が出る注射をしてください」と言われることがあります。医療機関で診察を受けることがむずかしかった時代、昭和30年代を経験した世代でしょうか、薬好き注射好きになっている人もいます。患者の希望と医師の治療法が合ってそうなったのでしょうが、かって行われていた注射針の使い回しによって、注射好きがウイルス性肝炎に罹患する危険性を増やし、地域によってC型肝炎の多い地域があると聞いています。
 そういう当事者になることも、どういう主治医に出会ったかに関係しています。どういう治療方針を取る主治医に巡り合うかは運というか、まさに「ご縁」です。
 私の外来診療に来られている中学校時代の恩師がいます。教師と生徒の関係のご縁で私を主治医に選んでくれています。前医に診察に行くときは緊張して、血圧を測るだけでも、血圧が高いのではないかとドキドキ心配していたそうです。
 それが私にかかるようになってからは、緊張することがないので気楽で、何でも聞いたり、話ができるからと喜んでもらっています。そして私に、「身体のことはお任せしているからね」と言われます。
 そこで「先生、もし田畑が診察で誤診して変なことになったら、先生の教え方の延長線上で医師になっているのだから、そのときは先生の教え方が足らなかったから、こんな誤診をするような医師になっていると諦めてもらわなければなりません」と軽口をたたきます。すると「そりゃ困る」と言われます。
 「そりゃ困る」と発言するときは、本当は任せてないことを示しているのです。都合の良い時は任せるが、都合が悪くなったら任せられないということです。「仏さんにお任せ」という時のお任せは、どんな結果が出ても、甘んじてその現実を受け取るのです。

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