「今を生きる」第253回   大分合同新聞 平成26年12月1日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(80)
 仏教では「仏さんへお任せ」という言い方をしますが、世間的に「お任せする」ということは、相手を信用して「お任せ」するということです。仏法では、信用してお任せということではなくて、仏の教えを疑って、疑って……、もうこれ以上疑う余地がなくなったので、仏の教えに「お任せします」となるのです。
 そのとき、初めは疑っていた私の理知分別は仏の智慧(無量光)に照らされて、私は愚か(仏の智慧がない)であり、小ざかしさのために表面的なものしか見てなかった、全体が見えていなかった。そのために迷いを繰り返していたのだと、はっきりと気付かされる展開があるのです。
 対人関係での「お任せ」というときは、相手と私はほぼ同等の関係です。そして、その人の日常生活での態度、仕事への姿勢、発言する内容、生活信条、過去の信用関係でトラブルはないか、非常識なところはないかなどを総合的に判断して「お任せ」ということが起こるのです。しかし、これは破綻する可能性を秘めています。
 患者が医師を信頼する場合は、医師や病院の評判、医師の過去に受けた教育や研修、臨床知識・技量や診察態度の印象で、お任せとなることが多いと思われます。その関係は分別の判断ですから、条件次第では変化するのは必然です。
 仏と私の関係では、世間の人間関係の延長のような対等な関係の発想で、初めは学ぶことになります。学ぶ中で気付かされることは私と仏は対等の関係ではなく、仏の智慧・慈悲の働きが量質共に圧倒的に大きい、深い、私を超えているという驚きです。
 良き師を通して学ぶ仏教は、人間・人生理解に深い洞察がなされ、教えの内容や表現は細やかな配慮がなされている。仏の悟り、目覚めはまさに人間の次元を超えた世界と言わざるを得ないのです。そんな仏の世界を人生経験を積みながら感得するとき、私の思いを翻して、仏の教えのごとく生きたいと願い、そして仏の徳を褒め讃えずにはおられません。その表現が「南無阿弥陀仏」です。

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