「今を生きる」第258回   大分合同新聞 平成27年2月2日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(85)
 われわれが日々の生活で物事の決断や方向性の判断をするとき、自分を取り巻く外の世界の情報は自分の目でしっかりと見ます。同時に種々のマスメディアを利用して最新の情報を出来るだけ多く集めようとします。そして自分の気持ちや考え方は自分が一番よく知っているので、その両方の情報を合わせて物事の判断をしようと考えています。
 医療も同じような思考をします。患者の病状を細やかに聞き、患者を取り巻く環境もできるだけ聞きます。しかし、患者の個人的人生観、価値観、死生観は私的なことなので、医師は関わるべきではないという姿勢を今までの多くの医師がとってきました。
 この方向性では病人を診るというよりは病気だけを診るということになりがちです。日常の外来診療で多くの患者の診察をしなければならない忙しい医師にはこの傾向が見られます。病気さえよくなれば、患者も医師もそれで満足ですからです。
 病人を全人的に診るという姿勢だと、医師は患者の幅広い情報に多くの関わりを持たざるを得ないために時間的、精神的に余裕のない医師にはかえって負担を感じることになります。
 多くの患者も表面的な症状について話すだけで、私的なことや気持ちのことなどはめったに話の中に出てきません。病気さえ治してくれればよいことで、医師側にそれ以上のことを期待していないということでもあるのでしょう。
 生命の生き死にに関係する疾病のとき、悪性腫瘍などで「死」に直面する場合は、患者の人間性が丸ごと出てくる、まさに老・病・死の現場です。病気を局所的に排除しようとする従来の医療の姿勢では間に合わなくなるケースが出てきます。
 老いること、死ぬことは局所的ではない全人的課題だからです。日本では老・病・死の現場が医療機関や福祉の施設に集約され、8割以上の人は施設で死を迎えています。それゆえに医療、福祉関係者には全人的対応が求められるのではないでしょうか。

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