「今を生きる」第261回   大分合同新聞 平成27年3月23日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(88)
 医療の現場では老・病・死に対しては、老・病・死を排除しよう、先送りしようという姿勢で臨んでいます。そこには老・病・死は嫌だ、都合が悪い、困ったことだという思いや感情が背後にあるからです。その思いは人間の煩悩に汚染された分別によると仏教は指摘します。
 人間の持つような分別をチンパンジーは持たないようです。チンパンジーに褥瘡ができた時、人間の目には大変だと思う状態でも、病気を苦にしない行動をとり続けていたと学術論文に発表されています。仏教の教える「二の矢を受けない」に似た対応をしているのです。
 避けることのできない現実には冷静(より理性的、知性的)に合理的に対応することを教えるのが仏教です。医療で対処できる病気は医師と相談して治療を確実にしてもらいましょう。それと同時に発症した病気や老化現象には、「この現実は私に何を教えようとしてあるのか」、「この現実は私に何に気付かせようとして起こったのか」と念仏して受けとめてゆくことを教えています。
 そこにもし損得・勝ち負け・善悪などの計らいの気持ちが自分に出てきたら、仏が「煩悩具足の凡夫」と言い当てている、本当にそういう私だ、と、ちょっと距離をおいて「思いや感情に振り回されている私、南無阿弥陀仏」と念仏して眺めると「二の矢」を受けないのです。
 良寛は災難に出遇った知人への手紙に、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候 死ぬる時節には死ぬがよく候 是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候」と書いています。
 仏教のお育てをいただく歩み(法話を聞く、仏書を読む、師との問答)において、仏の心への理解が深まると、念仏(仏の智慧)が執われの思い(困った、嫌だ、不安、駄目になった等)を断ち切ってくれるでしょう。
 「二の矢」を受けると、病気のストレス、そして「病気は嫌だ」のストレス、そしてどうしようと「困る」ストレスという様にストレスの悪循環に陥る可能性があります。こういうストレスは人体の免疫力を弱めたり、不安によってうつ状態を発症する可能性も多くなるのです。

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