「今を生きる」第267回   大分合同新聞 平成27年6月22日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(94)
 多くの日本の医療関係者は、無宗教であることが近代人の証だと信じているように思われます。宗教のようなものをうんぬんするのは医療界ではちょっと変わった人という雰囲気を感じています。
 現代人の科学的常識という視点から西方浄土の実在についての疑問の声は出てくることは少なくありません。私自身も、「仏さんはいらっしゃいますか」という問いを常に持ちながら日常生活を送っております。
 科学的思考な思考は、病気を局所的に分析、診断するのに有効な方法なので、病気を細分化して対応する専門医が尊重されてきました。内科、整形外科、眼科など複数の医師がそれぞれの病気を治療するために薬を処方し、結果として20数種の薬剤を服用している人もいるとNHKテレビが問題提起をしていました。
 医師にとって病人を全体的に把握することは複雑な要素が絡み、難しくなりがちです。全体を考えるより局所の病気だけを詳しく診る方が専門医にとっては得意なのです。
 哲学、宗教は人間や人生の全体を問題にする視点をもっています。宗教性抜きの日本の医療界においては「人間とは?」「人生とは?」という課題は患者の「私的なこと」として、医療者が関わるべき領域ではないという考えが強いように思われます。
 そうはいっても日本人の死亡場所の8割近くが医療関連施設という時代。患者の生きる、死ぬという生命に関わる状況で局所の「病気」に対応するという発想だけで、人間の老・病・死に十分に対応できているだろうかと思うのです。
 4年前に東北大学で臨床宗教師を育てる課程が始まりました、私の関係する龍谷大学でも、昨年から東北大学と連携して臨床宗教師を養成する課程をスタートさせました。
 老病死に直面する患者の全人的対応を考えるチーム医療を育てようと滋賀医科大でも医学生、看護学科の院生、そして宗教関係者を交えた講義、実習の取り組みが10数年前より実験的に実施され、継続されています。「医者の傲慢、坊さんの怠慢」と陰口を言われないように取り組んでいきたいと願っています。

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